2011年7月3日日曜日

尾鷲時間。


 昨日、魚市場でイタダキ市が開催された。
 同日におこなわれた(らしい)アーティストのおっかけの助けもあり、随分と若々しいイタダキ市だったように思われる。
 
 それにしても、尾鷲というのはイベントごとになれていない土地柄だと感じる。それはお祭りだけでなく、非日常的行事全般にいえるとも思う。
 
 まずはイタダキ市についてだが、昨年くらいまでは開催(開店)時間がかなり見切り発車だった。
 なにせ9時開催と言っても、10~20分ははやくお客が来る。そうすると、お店側もやむを得ず予定よりもはやく店を出さざるを得ない。(本来、この判断は店的にはNGなのだが…)
 
 こうして早く店が開き、売り買いが始まり、イベントは大盛り上がりを見せるのかというと……そうではない。
 
 自身が欲しいものを買い終えると(井戸端会議をする相手が居なければ)そそくさと帰って行ってしまう。
 なので、正午にさしかかる頃には、会場内は閑散としている。
 結果、閉場時間の13時を待たずに店を閉める商店も多い。
 後日、会の方で定時会場・定時閉場の声が上がったようだが、それでも未だに定時まで片付けをせず店を開いているところはひとつもない。どこからともなく片付けだすと「それなら自分たちも…」と片付けを始める。
 
 イベントを貫徹しようという気概に欠ける……といっては言い過ぎだろうか。
 それでも、店側のメリハリの無さが、集客の増を生んでいないことは確かだ。
 
 
 人から聞いたことだが、『尾鷲時間』というものがあるらしい。
 
 曰く、「会議があると、遅れて参加し、早退する」
 曰く、「通夜には早く訪れ、(法要が)始まる前に焼香をしてさっさと帰る」
 曰く、「祭と飲み、餅まきには早く来る」
 
 つまり、好きなものは我先に、そうでないものは一秒でも早く遠ざかる。
 …子どもの好き嫌いと変わらない。
 
 
 それならそれで、イベントの最後に餅まきでも用意しておけばいいのに…思う。
(写真は、七月のイタダキ市。12:40頃のもの。すでに会場内に店は出ていない……)
 

2011年7月2日土曜日

看板は、どちらに向けるべきか?

 さて、この写真だけでは分かりづらいが、これは平成二十三年現在紀州最南端のインターチェンジである紀勢大内山インターチェンジの入り口写真だ。
 紀州より北に用のある人は目にしたことがあると思う。
 
 この『大紀』の文字、建設当初から見ているが、通りがかるたびに妻と「何を作ってるんだろう?」と首をかしげていた。
 
 
 かくして、出来上がったのはこの丸太を使ったバカでかい町名の文字と、これまたバカでかい牛乳パック(反対側から見るとコーヒー牛乳になる)などをはじめとした看板類だった。
 それらの手前には噴水が設けられている。
 
 
 
 …いろいろ言いたいことはある。
 だが、口を開けば誹謗中傷が隊列を組んで出てきそうなので伏せたいと思う。
 
 それでも、あえてコレは言いたい。
 
 
 看板とは、知らない人に対するメッセージとしてあるべきではないかと私は思う。
 しかしこの看板は、大紀町から高速に乗ろうとする時にしか見えない。高速のインターを降り、右折してしまうと一度も目に触れることはない。
 と…すると、この看板が建てられた意図は、高速を降りて大紀町を訪れた人に対して向けられたものではなく、今まさに大紀町を離れようとする人に『ココは大紀町という町なんだ!』ということを覚えておいてもらうために建てたかのような配置で建てられているということだ。
 
 
 一体この看板に、どれだけの費用と労力をかけたのかは分からない。
 だが、『大紀町』の文字の向き、その文字の横に並ぶ観光案内とおぼしき絵から導き出されない観光情報、大内山牛乳が特産品という想いが生み出したものの、大内山牛乳を買わせるための案内が何一つないオブジェ。噴水があるにもかかわらず、見つけた段階では、噴水のそばに足を運ぶことも、車を止めることも出来ない不条理な配置。
 
 それらすべてが例外なくトマソンと化している。
 
 まったくもって見事としか言いようがない。
 これなら、このトマソン類の建設費を使って観光案内を刷り、インターそばのコンビニに置いておいた方がはるかに有益だと感じる。
 
 
 建てられてからふた月ほどが経ったかと思うが、いつか言おう言おうと思い、やっと言えたことに安堵を感じている。
 
 もし、これから何らかの看板を ── 大紀町でなくてもどこでもいい ── 建てようとしているのであれば、どうかそんな『誰のために』『何のために』というごくごく基本的な視点を見失わず建ててもらいたい。
そう切に願う…。
 

2011年6月2日木曜日

PILOT HI-TEC-C coleto

 つい数時間前にあった話。
 
 管理人は文房具を市内で買う時はS商店か、O文具店で購入している。
 前者は管理人が小さい頃からお世話になっているお店。文房具店というよりは、バケツやホース ネズミ取りなどありとあらゆるものが売っているアメリカにあるドラッグストア然とした雑貨屋。後者は文具、画材、書道用品からコピー機のリースまで手がけている文具店。最近はもっぱら(新製品なども比較的充実しているので)後者のお世話になってばかりだ。
 
 ところが昨日、PILOTのHI-TEC-C coletoのインクが切れたため、O文具店に足を運んだ。
 HI-TEC-C coletoというのは,最近出だした自分好みの色(ボールペン)・シャープペン・消しゴム・スタイラスなどへの交換が可能なペン(軸)のこと。(これで極細のカッターや修正ペンなどがあれば無敵の文具なのだが…)
 バイト先で頻繁にこのペンを使用するし、モレスキン(最近買った)や日記を含め、前に買ったボールペンよりもこちらのHI-TEC-C coletoの方を使用することが多くなった。 当然、目減りも早い。
 二つほどストックも一緒に購入しようと足を運んだのだが、シャッター降りており、『しばらく休業します』の文字が…。
 まぁ、急を要するわけでもなく、他にもボールペンならあるので、翌日(つまり今日)までは手近なボールペンを代わりに使い、S商店へ向かった。
 
 ……ところが、聞いてみるとS商店では取り扱っていないという。
 しかも、最初に対応した店主の奥さんはこのペンの存在すら知らなかった。(もちろん、知らない商品があるのは当然だが、比較的新商品だったのでちょっとショックだった)
 
 さて、今現在もこのHI-TEC-C coletoの黒色の換えが無い状態。
 たかだかボールペンのカートリッジ一本、されど…である。
 
 もう数日、市内を散策してみるつもりだが、なければ市外で購入せざるを得ない。
 
 ある人から「尾鷲は『田舎』じゃない。ただの『不便なところ』だ。」 …と言われたことがある。
 
 その人にとって、『田舎』というのはのどかな田園風景が拡がるなどして、心を穏やかにしてくれる風景のある場所…というイメージなのだろう。
 それは、その人の『田舎』感であって、都市部や郊外を離れれば すべからくそんな土地になるわけでもない。それを『イナカ』に求めるのはお門違いな話なのだが…。しかし、尾鷲が『不便なところ』であることは確かに納得だ。
 
 人間はとかく、『易(やす)きに寄(よ)る』傾向がある。
 書くものであれば何でもよい、というのも人の考え。
 書くという行為にいくらかのこだわりを持つ、というのも人の考え。
 しかし、それを選ぶのはお客であって、お店の選択肢ではない。
 『ない商品は注文すれば良い』とも考えられるが、それを繰り返していては『この店は、ここぞという時に欲しいものがない』というイメージがつき、客は離れてゆく。
 
 拡大解釈になるが、こういう考え方は尾鷲市全体にも言えてくると管理人は思う。
 
 ここぞという時に、尾鷲市には欲しいものがない。
 
 そう思われてしまえば、何かが欲しいと思った時、人びとの関心は尾鷲市以外の方向を向いてしまう。
 そんな時に高速道路(のインターチェンジ)が通ってしまえば、結果は日の目を見るより明らかだ。
 皆、尾鷲に『欲しいモノ』があるかどうかなど確かめる前に、外へ買い物をしに出ていく。
 
 今日、管理人にとっては一本のペンをここで買うか、外で買うかの話だったが、いずれは同じ感覚で尾鷲市にとどまるか、尾鷲市を見捨てるか…の選択が成されることになる。
 
 ……どうにかして、その感覚をぬぐい去る努力をしないと。
 

2011年4月7日木曜日

品数。

 久しぶりに尾鷲のジャスコに足を運んでみて驚いたことがあった。
 
 あまりにも、閑散としていたのだ。
 
 決してそれは震災のための節電とか『今』の話ではない。
 東日本大震災より数年前の話だ。
 
 かつて家電売り場だったところには布団や毛布などの寝具類売り場に代わり、医薬品は一階中央から北出入口寄りに移され、専門レジは姿を無くしていた。
 その他各所配置換えがなされ、『空いた棚』はないものの、どことなく『空虚さ』を感じさせていた。
 
 何故、空虚だと感じる?
 何故、暗く感じる?
 
 未だに明確な答えに達しては居ないが、「あぁ、コレでは駄目だ…」と感じたことがあるので、それだけは挙げておこうと思う。
 
 
 まず、品揃えが悪い。
 
 いざ買い物をし始めて気づくのだが、『買い物をする楽しみ』が奪われている感がある。
 つまり、『選り好みをするほど種類がない』のだ。
 
 数が足りない、ということと種類がない…というのとは、話が違ってくる。
 
 買い物の本質…とはいかないだろうが、買い物を楽しくしようとするなら、種類は豊富であることが不可欠ではないかと感じる。
 例えばソース。
 またいずれ、おかげ横丁(伊勢市)の話もするが、おはらい町にあるおかげ横丁でソースを買おうとすると、その数に圧倒される。古今東西のソースを見ているだけでも、実に楽しい。
 
 デパートや生鮮食品店に行って、品物がないというのも問題に違いないが、品種が乏しいというのは、その店の死活を分ける警鐘と言ってもいいかもしれない。
 
「さて、今日はチーズを買おう」
 そう思って、乳製品のコーナーに行ってみたら、そこには正方形のスライスチーズと円形を6ピースに切り分けられたブロックチーズしかなかったとしたら……どうだろう?
 
 売り手が、「チーズといえば、これのことだろう?」と思って、それしか置いてないのだとしたら取り付くしまもない。
 その人の辞書には、モッツァレラもゴーダもカマンベールもブルーチーズもないわけだ。(大層なことを書いておきながら、書き手自身もチーズの種類が少なくて申し訳ない…)
 
 それで、解消されない消費者の思いは何処へ行くのかというと……、尾鷲でなく、明和や新宮や鈴鹿に行ってしまうワケだ。
 そこでなら種類も豊富にあるし、楽しむものも豊富にある…と。
 
 こうして(全部が全部ではないが)求められる商品は余所の店にて購入され、地元には相変わらず商品が充実せず、店側には消費者の希望が見えないまま、縮小にもちこまれていく。
 
 縮小? なんの?
 
 品数の縮小かも知れないし、 商品の陳列棚かも知れないし、 …………かもしれない。
 
 
 他にもディスプレイの悪さなども書きたかったが、これもまた次の機会に。
 
 もし、ここで欲しいモノを手に入れたい。
 そう思うなら、消費者はもっと店に対してアレが欲しい、コレが欲しい…と注文を言うべきだ。
 店側は未だに『リクエストがない=商品が足りている』と思っているのだから。(思っていないにしても『足りていない』などとは思っていないようにしか見えない)
 
 即時必要というのであれば、やむを得ないが、出来ることなら日常品は地元を活用すべきだ。そして、『私』はコレが欲しいのだ! …と、はっきり自己主張すべきだ。
 そうしないと、『私』のまわりの世界がドンドン枯渇していってしまうのだから。
 

2011年4月5日火曜日

『ワビサビ』 ならぬ 『コケとサビ』

 ヒトに言われて気づいたのですが、とかく尾鷲市(というか、紀州地域?)は何処と言わずにコケむしている。
 子供の頃から見慣れた風景なので、特に目にも入っていなかったのですが なるほど、改めて見てみると「これはヒドい…」と口に出そうなほど至る所の壁・ブロック塀が苔生(こけむ)している。
 
 いかんせん雨の多い地域だから、コケやカビなどはあって当たり前なのだが、初めて尾鷲を訪れた人には『暗い…』という印象を与えてしまうこと間違いない。
 自分の家(部屋)ほど、汚れに気づかない道理と同じだ。
 片付けが出来てない部屋を汚部屋(おへや)などというらしいが(そんな汚部屋を片付ける本が書店に出ていた)、町の名前に『汚』の字が付く前に、来客を快く迎え入れる(あるいは来客が快く来られる)よう掃除をすべきなのかも知れない。
 
 最近になって、やけに道々の看板のサビが目について仕方ない…。

更新再開。


 以前は、同人活動の記録を書き綴っていこうと思ったのですが、どうにも活動も更新も続かず、あえなく消去。ただ、映画司会者 水野晴郎さんの記事だけは消すのをためらってしまい、このまま残しておくことにしました。
 人の目に(特に地元の人の目に)触れれば異論、時には不快感を与える書き込みが増えることとは思いますが、やはり地元の短所は改めて直視するべきではないかと思います。
 
 どなたかが『三重県尾鷲市』ってどんなところ? …と思い、足を踏み入れた時、カルチャー・ショックを受け、一目散に逃げられるよりは、『尾鷲の洗礼』とあらかじめ知っておいて受けた方が、より深く『尾鷲』を知ってもらえると思うのです。
 
 とにもかくにも、始めてみたいと思います。