2011年7月2日土曜日

看板は、どちらに向けるべきか?

 さて、この写真だけでは分かりづらいが、これは平成二十三年現在紀州最南端のインターチェンジである紀勢大内山インターチェンジの入り口写真だ。
 紀州より北に用のある人は目にしたことがあると思う。
 
 この『大紀』の文字、建設当初から見ているが、通りがかるたびに妻と「何を作ってるんだろう?」と首をかしげていた。
 
 
 かくして、出来上がったのはこの丸太を使ったバカでかい町名の文字と、これまたバカでかい牛乳パック(反対側から見るとコーヒー牛乳になる)などをはじめとした看板類だった。
 それらの手前には噴水が設けられている。
 
 
 
 …いろいろ言いたいことはある。
 だが、口を開けば誹謗中傷が隊列を組んで出てきそうなので伏せたいと思う。
 
 それでも、あえてコレは言いたい。
 
 
 看板とは、知らない人に対するメッセージとしてあるべきではないかと私は思う。
 しかしこの看板は、大紀町から高速に乗ろうとする時にしか見えない。高速のインターを降り、右折してしまうと一度も目に触れることはない。
 と…すると、この看板が建てられた意図は、高速を降りて大紀町を訪れた人に対して向けられたものではなく、今まさに大紀町を離れようとする人に『ココは大紀町という町なんだ!』ということを覚えておいてもらうために建てたかのような配置で建てられているということだ。
 
 
 一体この看板に、どれだけの費用と労力をかけたのかは分からない。
 だが、『大紀町』の文字の向き、その文字の横に並ぶ観光案内とおぼしき絵から導き出されない観光情報、大内山牛乳が特産品という想いが生み出したものの、大内山牛乳を買わせるための案内が何一つないオブジェ。噴水があるにもかかわらず、見つけた段階では、噴水のそばに足を運ぶことも、車を止めることも出来ない不条理な配置。
 
 それらすべてが例外なくトマソンと化している。
 
 まったくもって見事としか言いようがない。
 これなら、このトマソン類の建設費を使って観光案内を刷り、インターそばのコンビニに置いておいた方がはるかに有益だと感じる。
 
 
 建てられてからふた月ほどが経ったかと思うが、いつか言おう言おうと思い、やっと言えたことに安堵を感じている。
 
 もし、これから何らかの看板を ── 大紀町でなくてもどこでもいい ── 建てようとしているのであれば、どうかそんな『誰のために』『何のために』というごくごく基本的な視点を見失わず建ててもらいたい。
そう切に願う…。
 

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