2011年4月7日木曜日

品数。

 久しぶりに尾鷲のジャスコに足を運んでみて驚いたことがあった。
 
 あまりにも、閑散としていたのだ。
 
 決してそれは震災のための節電とか『今』の話ではない。
 東日本大震災より数年前の話だ。
 
 かつて家電売り場だったところには布団や毛布などの寝具類売り場に代わり、医薬品は一階中央から北出入口寄りに移され、専門レジは姿を無くしていた。
 その他各所配置換えがなされ、『空いた棚』はないものの、どことなく『空虚さ』を感じさせていた。
 
 何故、空虚だと感じる?
 何故、暗く感じる?
 
 未だに明確な答えに達しては居ないが、「あぁ、コレでは駄目だ…」と感じたことがあるので、それだけは挙げておこうと思う。
 
 
 まず、品揃えが悪い。
 
 いざ買い物をし始めて気づくのだが、『買い物をする楽しみ』が奪われている感がある。
 つまり、『選り好みをするほど種類がない』のだ。
 
 数が足りない、ということと種類がない…というのとは、話が違ってくる。
 
 買い物の本質…とはいかないだろうが、買い物を楽しくしようとするなら、種類は豊富であることが不可欠ではないかと感じる。
 例えばソース。
 またいずれ、おかげ横丁(伊勢市)の話もするが、おはらい町にあるおかげ横丁でソースを買おうとすると、その数に圧倒される。古今東西のソースを見ているだけでも、実に楽しい。
 
 デパートや生鮮食品店に行って、品物がないというのも問題に違いないが、品種が乏しいというのは、その店の死活を分ける警鐘と言ってもいいかもしれない。
 
「さて、今日はチーズを買おう」
 そう思って、乳製品のコーナーに行ってみたら、そこには正方形のスライスチーズと円形を6ピースに切り分けられたブロックチーズしかなかったとしたら……どうだろう?
 
 売り手が、「チーズといえば、これのことだろう?」と思って、それしか置いてないのだとしたら取り付くしまもない。
 その人の辞書には、モッツァレラもゴーダもカマンベールもブルーチーズもないわけだ。(大層なことを書いておきながら、書き手自身もチーズの種類が少なくて申し訳ない…)
 
 それで、解消されない消費者の思いは何処へ行くのかというと……、尾鷲でなく、明和や新宮や鈴鹿に行ってしまうワケだ。
 そこでなら種類も豊富にあるし、楽しむものも豊富にある…と。
 
 こうして(全部が全部ではないが)求められる商品は余所の店にて購入され、地元には相変わらず商品が充実せず、店側には消費者の希望が見えないまま、縮小にもちこまれていく。
 
 縮小? なんの?
 
 品数の縮小かも知れないし、 商品の陳列棚かも知れないし、 …………かもしれない。
 
 
 他にもディスプレイの悪さなども書きたかったが、これもまた次の機会に。
 
 もし、ここで欲しいモノを手に入れたい。
 そう思うなら、消費者はもっと店に対してアレが欲しい、コレが欲しい…と注文を言うべきだ。
 店側は未だに『リクエストがない=商品が足りている』と思っているのだから。(思っていないにしても『足りていない』などとは思っていないようにしか見えない)
 
 即時必要というのであれば、やむを得ないが、出来ることなら日常品は地元を活用すべきだ。そして、『私』はコレが欲しいのだ! …と、はっきり自己主張すべきだ。
 そうしないと、『私』のまわりの世界がドンドン枯渇していってしまうのだから。
 

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